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山伏の横顔①(吉田定弘様) ~私が山伏になった理由~

2022年5月24日 投稿者: 葛城修験日本遺産活用推進協議会

皆さんこんにちは!いつも本ブログをご覧いただきありがとうございます。

本日は本ブログでの新企画スタートのご案内です!


これから、「山伏の横顔 ~私が山伏になった理由~」と題しまして、普段一般の方にはあまりなじみのない「山伏」について、インタビュー形式でその方の人となりや山伏になった理由、普段どういった活動をされているかなどを聞き出し、読者の皆様に少しでも「山伏」について身近に感じてもらうとともに、「修験」についての理解醸成に繋がるようお送りしていければと思っております!

この企画はシリーズ化し、月1回ペースぐらいの頻度で更新していければと思っておりますのでどうぞよろしくお願いいたします!


さて、記念すべき第1回目は、普段は柏原市役所にお勤めの吉田定弘様にお話をお伺いします。

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装束を身に着けた吉田さん


ー吉田さん、本日はどうぞよろしくお願いいたします。

よろしくお願いいたします。


―一般の方にはあまりなじみのない、修験者・山伏ですが、そのほとんどの方は在家であり、普段は企業等でお勤めされています。吉田さんも普段は柏原市役所にお勤めですが、そんな吉田さんが修験の道に入ったきっかけとは何だったのでしょうか?

今回、このインタビューのお話をいただき、改めて修験者としての自分を振り返ってみたのですが、そのとき最初に思いついたのは子供の頃の体験です。私は生まれも育ちも柏原市なのですが、田舎なこともあって、子供の頃の遊び場と言えば周りの山々であり、私自身、山で遊ぶことがとても好きでした。私が遊び場としていたのは、山と言ってもしっかり管理された里山のことなのですが、それでも小さい子供にとって山に入ることは大冒険であり、見たことのない景色を見つけられる喜びや新しい道を発見した時の感動は大きなものでした。

一方で、一人で山にいるときの怖さや何とも言えない神秘的な雰囲気も子供ながらに感じ、山から戻ったときにはいつも自分が少し強くなったような感覚になったことを今でも覚えています。今思うと、このような体験が私にとっての修験の原体験ではなかったのでは、と思っています。


―なるほど、子供の頃から、生活環境の一部に山があったということですね。

はい。ですので、「きっかけは何か」と聞かれたら、「いつの間にか気付いたら修験者になっていた」というのが正直な答えなのですが、それでも敢えてきっかけと言えば、それが上述の子供の頃の原体験であり、もっと直接的には、柏原市役所に就職して何年か経ち、30歳頃の頃だったと思いますが、奈良県吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)の修行体験に参加したことです。いつの頃か、「山伏」という存在を知り、興味を持って様々調べていると、金峯山寺で修行体験を行っていることを知ったので申し込みました。その修行体験は奈良県の山上ヶ岳、いわゆる大峯山(おおみねさん)を登るもので、朝3時頃出発し、夕方頃に戻ってくるという修行でした。


―なかなかハードな修行体験だったのですね。

はい。ただ、たった一日の修行だったのですが、その中でも様々感じることがありました。このことがきっかけで、翌年も同じように寺が主催する修行体験に参加したのですが、その際、一つの印象深い出来事が起こりました。なんと金峯山寺の山伏の中に見たことのある方がいたんです。私の近所に住む昔から知っているおじさんでした。今まで全く知らなかったのですが、実は近所のおじさんが金峯山寺の山伏だったんです。そしてそのおじさんも私を見つけてくれ、近所の知り合いがこの修業体験に参加してくれていることをとても喜んでくれました。その方が実は今の私の師僧なのですが、彼はこの日を境に私を様々な行事ごとに誘ってくれるようになり、このことがきっかけとなり私も山伏として金峯山寺にお世話になることになりました。何かに導かれるようにして起こったこの出来事は、とても運命的だったと思っています。


―なるほど。そうすると、吉田さんは20年ほど山伏として活動されていることになるかと思いますが、この「山伏としての活動」とは、普段どのようなことをされているのでしょうか?

実は何も特別なことはしていないんです。先輩から教えていただいた、修験の心得の中で私がとても大切にしている言葉があるのですが、それが「山の行より里の行」という言葉です。修験道というのは、「山で修行し、そこで得た験力を衆生に返す」という考え方が根本にありますが、一番大切なのは普段の里での生活であり、その日々の生活全て修行であるという趣旨の言葉です。私も年に何度かは、お世話になっている金峯山寺の行事のお手伝いをしたり、また、年に2回春と秋に山に入り護摩行をしたり勤行をしたりするのですが、それはあくまで日々の生活から離れ、自分を改めて見つめなおすための特別な修行であり、本当に大切なのは日々の生活にしっかりと向き合うことです。この心構えを持っていると、日々の生活で辛いこと、困難なことがあっても「これは私に与えられた修行であり、とてもありがたいものだ」と捉えることができ、それを乗り越えたときの喜びも一入で、辛いこと・困難なことにとても前向きに取り組めるようになります。


―素晴らしい考え方ですね。私には生涯到達しえない心の持ちようのような気がします(笑)

いえいえ、私も偉そうなことを言っていますが、いつもその心持ちでいられるわけではありません。ついついその心持ちを忘れ、嫌になるときもあるのですが、そういったことを思い出すために、たまに山に入るのです。そこでまたリフレッシュし、新たな気持ちになり、日々の生活を過ごしていくのです。山は私にとって自分をリセットする場所だと思っています。


―では、その山での修行の中で何か印象的なことはこれまででありましたでしょうか

特別ないのですが、不思議なのが、毎年毎年同じ山・道を修行に訪れるのに、なぜか毎回新鮮な気持ちで山に入れることです。毎年同じ場所なのに、天気や気温はもちろんのこと、自分のそのときの精神状態により、山は全く違う印象を私に与えてくれます。


―では、山伏になってよかったことはありますか

やはり一番は、「日々の生活が修行」という考えを持てているということですね。繰り返しになりますが、このことにより、辛いことも困難なことも前向きに乗り越えられる気がしています。


―吉田さんにとって修験道とは?

「山の行より里の行」この言葉につきますね


―今日のキーワードですね(笑)

はい、日々の生活が修行で、たまにその気持ちを忘れないために山に入って自分をリセットする。これが私にとっての修験道です。


―ありがとうございます。では最後に何かメッセージなどいただければ

修験道と聞くと、何かとっつきにくいイメージがあるかもしれませんが、実は全然難しいものではありません。日々の生活が修行であり、たまにその日々の生活に辛くなったときに山に入り自分をリフレッシュする。これも立派な修験です。ですので、気軽な気持ちでぜひ葛城の山々を訪問ください。そして、もしその中で山伏の格好をした方に出会ったら気軽に声をかけてみてください。きっと様々なことを教えてくれ、皆様の考え方が変わるきっかけになるかもしれません。柏原市には葛城修験の第28経塚「亀の尾宿 普賢菩薩勧発品(かめのおしゅく ふげんぼさつかんぼつほん)」がありますのでぜひ足をお運びいただきたいですね。

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