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山伏の横顔②(狩森慈彰)様 ~私が山伏になった理由~

2022年6月20日 投稿者: 葛城修験日本遺産活用推進協議会

皆さんこんにちは!

本日は、新連載シリーズ「山伏の横顔 ~私が山伏になった理由~」の第2弾です!

今回は、葛城修験道の山伏で、葛城二十八宿の28番「亀ノ瀬龍王社」にほど近い「亀乃瀬弁才天国分寺 立螺会(大阪府柏原市)」に所属されている狩森慈彰(じしょう)さんにお話を伺います。

狩森さんは、日頃は大阪府内でごく一般的な会社勤めをしながら休日には修験者として活動されているとお聞きします。

狩森さん写真.jpg

装束を身に着け法螺を吹く狩森さん



ー狩森さん、本日はどうぞよろしくお願いいたします。

よろしくお願いいたします。

―普段はサラリーマンである狩森さんが山伏になったきっかけとは何なのでしょうか?

私は前職であちこちのお寺に出入りしていたことがあり、あるお得意様のお寺に当時職員(役僧といいます)として勤めておられ今では私の師匠である久米持慧(じけい)師(以下「師匠」)と出会ったことがきっかけです。師匠と仕事上の関係を深める中で、あるときお寺の行事としての大峯山登拝のお誘いをいただきました。

実は母親が会社員時代にワンダーフォーゲル部員として様々な経験を積んでいたこともあり私は幼い頃から赤目四十八滝や二上山・葛城山・厳冬の金剛山に連れられ、また高校時代は私自身もワンダーフォーゲル部に所属し毎年北アルプス登山を経験、社会人になっても細々と登山を続けておりましたが、大峯山だけは「山伏が修行する、神仏の山なのだから安易にレジャー感覚で入山すべきではない」という認識があり、足が向くことはありませんでした。

そんな折にお声がけいただいたものですからこれは大峯の仏さんからのお誘いに違いないと感じ、その場で参加を申し込みました。今から約15年ほど前の話です。子供のころの原体験、社会に出てからのご縁、これらが私が山伏となるに至った様々な伏線でありきっかけだったのだと思います。


―おっしゃるとおり、これまで経験されていたレジャー登山と「大峯山登拝」ということには大きな違いがあったかと思うのですが、そこに一歩足を踏み入れることについての躊躇はなかったのでしょうか?

なかったですね。私は奈良県香芝市出身で親より上の世代は学校や地域の行事として大峯山登拝を経験しており、幼い頃は父親はじめ周りの大人から「お前もそのうち大峯山で修行をするときがくるんやで」と言われ「いつか通過儀礼として大峯山に登る日が来るんやろな」と何となしに受け入れておりました。

結局中学生になった頃、私たちの世代ではそうした慣習もなくなってしまっていたものですから、しばらく大峯山には縁がなかった私への師匠からのお誘いは絶妙のタイミングでもあり、喜んで参加したことを覚えています。


―では、その体験を経て実際に山伏になるまでにはどんなストーリーがあったのでしょうか?そしてまた、なぜ「葛城修験道」だったのでしょうか?

程無くして師匠がご住職継承のため柏原市のご自坊「亀乃瀬弁才天 国分寺」に戻られるのですが、その後もご自身で大峯山登拝や法螺貝の練習会などを開催いただき、私もご一緒させていただいておりました。そしてこのあと、師匠は高野山真言宗寺院の住職でありながら山伏として葛城修験道に入門、真言宗醍醐派の修験教師となり、国分寺立螺会を立ち上げられるのです。

そんなお付き合いが続いていたある日、師匠から、「今度金剛山転法輪寺において葛城修験道の得度式(山伏になる儀式のこと)を行うので貴方も行者得度を受けて山伏にならないか」とお誘いいただきました。それで、既に活躍されていた先輩方に続き私は山伏となり、これまで親しんできた私にとっての「久米さん」は「師匠」となったのです。2018年のことです。

日ごろ慣れ親しんだ葛城の峯々が由緒ある葛城修験道の行場であったことをこのとき初めて知ったものですから、それはそれは有り難いご縁だと思いました。「葛城修験道の」山伏になるというのは私の意志というよりむしろ運命だったのかもしれません。


―得度を受けて山伏になるということは、人生においても非常に重い決断のように思うのですが、そこにも躊躇はなかったのでしょうか

なかったですね。高野山真言宗の僧侶でありながら葛城修験道に魅せられ、真言宗醍醐派の修験教師となって山伏の弟子をとる、という師匠の相当な覚悟と、私という人間への信頼というものを強く感じましたし、これまでの導かれるような出会いなども含め私が山伏になることは必然だったのだと思い迷わずお受けしました。登山の師でもある母親や、若い頃大峯山を登拝した父親も喜んで後押ししてくれたことは言うまでもありません。

また、久米師の弟子になるということは遡れば役行者さんの弟子になることでもあると聞かされ、とても有り難いことだと感じました。


―山伏になられてからはどのような活動をされているのでしょうか?

山伏になってからは師匠の指導の下、月1回の錬成会(法螺貝を吹く練習やお経・作法などの伝授・座学など)、金剛山転法輪寺のれんげ大祭はじめ年中行事への出仕、葛城二十八宿の巡拝や大峯山系への登拝を行い、また亀乃瀬弁才天国分寺においては4月の火まつり柴燈護摩などの行事を、葛城修験道の山伏を中心に執り行っております。


―狩森さんにとって修験とは何なのでしょうか?

一言で表すとライフワークですね。すっかり生活の一部となりました。

修験とは実践実修と教わっており様々な行を生身で実践することに重きをおき、上達してゆく過程を体感し師匠から次の課題をいただく時の喜びもひとしおです。そして大切な心構えとして教わっているのは、山伏とは自然を、神仏を全身で感じ、きれいにしていただいた自分自身の心をもって社会に奉仕・還元してこその存在だということです。山伏が半僧半俗といわれるのは、山(神仏の世界)と里(人間社会)を行き来しながら社会に貢献すべき存在である、ということだと思います。


―大峯山と葛城の峯々の両方を行場(ぎょうば:修行の場所)とされている狩森さんにとって、葛城修験について特別な思いはあるでしょうか?

葛城二十八宿は役行者さんがお若い時期にお開きになった行場、つまり修験道の源流たる葛城修験の行場ということでもちろん特別な場所なのですが、大峯山と対比するならば、里に密接した行場であるということに尽きると思います。ご存じの通り大峯山は非常に険しく、この現代においても女人禁制を貫いておりいかにも密教的な「隔世の行場」であります。一方葛城の峯々は農園や果樹園、林業用の人工林などそこに住まわれる方々の生活の場と密接した「開かれた行場」です。

ダイヤモンドトレールなど登山道の整備も行き届いておりこれから山歩きを始めるという方でもアクセスしやすい環境で、神仏の山でありながら山伏・里人・登山者が共存するきわめて特殊で、特別な場所だと思っています。


―修行をしていてそういった「特別感」を感じるようなことはありますか?

例えば、いつも真新しい生花が行場に供えられている、いつもお地蔵さんが綺麗に祀られている、いつも直近の日付が記された碑伝(ひで:山伏が修行で訪れたことを示し行場に置いていく木の札のこと)がたくさん置かれているなど、修行に訪れるたびに気付くことがたくさんあります。常に様々な人のあしあとや生活のにおいを感じるのです。実際にお会いしなくても、言葉を交わさなくてもこの里にお住まいの方や登山者の方々、他の山伏さんとコミュニケーションをとれている、繋がっているんだと思うと非常に嬉しくなりますね。こういったことを経験できるのは葛城修験ならではかと思います。


―見えない方とその足跡(そくせき)を通じてコミュニケーションを取れるというのは非常に深い話ですね。1,000年を超える歴史を持つ葛城修験ですが、過去の山伏の方の息吹を感じるようなことはあるのでしょうか?

行場に祀られている古い石碑が真新しい石垣やブロック等で組みなおした土台に大切にお祀りされているのを見ると、役行者さんの代から絶えず拝みに来る修験者と、行場を守り続けてくださる里人のきずなが連綿と続いていることを肌で感じます。石材を山中へ搬入し土台を組んだりするのは並大抵ではない労力と技術が要りますし、なにしろそれらに関わる方々の、葛城修験への強い想いを感じずにはいられません。


―山伏になってよかったことはありますか?

お恥ずかしい限りですが私は元々自分にも他人にも甘く、主張の強いタイプではありませんでした。しかし得度して以降、日常の社会生活の中で「こうしていきたい、これではいけない」ということを他人のため、自分のためにも前向きな気持ちでハッキリと言えるようになりました。いつも根拠を明らかにしながら自信をもって指導してくださる師匠の影響ですね。また以前よりも自身を律することができるようになったと思います。そして得度前、幼いころから培った登山の経験は、登拝の先達をする場面で皆さんを安全にガイドすることにとても役立っております。

こうして修験で得たものを社会生活に、社会生活で得たものを修験へと相互にフィードバックできているということが何よりの喜びです。


―逆に辛かったことはありますか?

生身で実践することですから当然に暑い、寒い、痛い、しんどいなど身体の感覚として感じることはありますが、修行において辛いと思ったことは一度もありません。むしろこのコロナ禍もあり、様々な法要に出仕できないこと、また医療関係の方にご迷惑をかけないよう迂闊にケガもできませんから、山修行そのものができないということが一番辛かったです。


―まさにライフワークなんですね(笑)

はい、コロナ禍で講(グループ)の交流が制限され山修行も控えなければならない状態が続き、巡拝や柴燈護摩などの修行を渇望している自分に気づきました(笑)。    今年度からは感染症などに対する様々な配慮をしつつも、ようやく活動できると思い喜んでいます。


―ありがとうございます。最後にメッセージをいただければ。

山伏というのは俗世離れした存在のように感じる方が多いかもしれませんが、決してそうではありません。私なんかでしたら、平日は街中や電車で皆様とすれ違っているかもしれませんよ。週のうち5日は大阪で会社員をしているのですから(笑)。

また、葛城二十八宿の行場はご存じのとおり山中だけでなく里にも存在することが特徴です。皆様がドライブ中や登山中、里に点在する行場付近の道路や山中で我々山伏とばったり出会うこともあるかもしれません。その際は気兼ねなくお声がけくださいませ。

修験道に興味を持たれた方は、(このお山を歩いているのは自分だけじゃない、里人・登山者・修験者みんな一緒なんだ)と感じていただき、役行者さんや葛城の峯々の神仏・自然に思いを寄せながら登山やハイキングをお楽しみくださいましたら幸いです。

もしかしたら私と同じように、皆さんにも、修験者となるご縁がやってくるかもしれませんね。

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