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山伏の横顔③(古賀文子)様 ~私が山伏になった理由~

2022年7月15日 投稿者: 葛城修験日本遺産活用推進協議会

皆さんこんにちは!

本日は、連載シリーズ「山伏の横顔 ~私が山伏になった理由~」の第3弾です!

今回は、普段は京都市内のホテルにお勤めされている「本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)聖護院門跡塔頭(しょうごいんもんぜきたっちゅう)積善院(しゃくぜんいん)」に所属している古賀文子(こがあやこ)さんにお話をお伺いします。


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装束姿の古賀さん

―今回このシリーズでは初めて女性の山伏さんからお話を聞くのですが、古賀さんが山伏になったきっかけとは何なのでしょうか?

母が信仰深く、物心が付いた時から神さま、仏さまに手を合わすことが当たり前という環境で育ちました。子供の頃のお出かけ先といえば、神社仏閣や、お墓参りが多かったように記憶しています。ただ、そういった生活がずっと続いたわけではなく、特に高校生になってからは部活や勉強に忙しく、さらに大学生の時はバイトに明け暮れ、貯まったお金で海外旅行を楽しむような生活を送っていました。

大学を卒業してから短期間のアメリカ生活を経て、派遣会社に所属しOLをしたり、沖縄のリゾートホテルで勤務したりしていたのですが、ご縁があって奈良県内のホテルでコンシェルジュとして働くことになりました。お客様に様々なご案内をできて当たり前の部署であり、特に奈良という土地柄から、お寺や神社に関するお問合せを受けることが非常に多く、自己研鑽のため県内の社寺巡りを始めました。


―なるほど。子供の頃から信仰というものについて自然に慣れ親しんでいたものの、学生時代は一度そういった環境から離れ、そして再び仕事を機に信仰の世界に戻ってきたんですね。

そうですね。最初は「仕事で必要だから」ということで始めた社寺巡りですが、上述したようなバックグラウンドもあったことから、すぐにそれが楽しみに変わり、やがて生活の一部になっていきました。そして、そんな日々も4年が過ぎたころ、社内の異動で、企画系の部署に移ることになりました。

異動後はそれまでに得た知識や経験から、お寺や神社関係の企画に携わる機会を多くいただきました。社寺をイメージしたコンセプトルームや、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)とコラボレーションした山伏姿のテディベア「くまぶしくん」など、親しみを持っていただけるような企画作りを心がけました。神社仏閣とのご縁が深まっていく中、あるとき、金峯山寺の秘仏ご本尊御開帳のお手伝いへのお誘いをいただきました。もちろん喜んで伺わせていただいたのですが、元来、一度関わりを持ち、それに対して「良いな」と思うと「より深く関わりたい。もっと中に入りたい」と思う性格の私は、お手伝いだけでは満足できなくなり、自らも修験道を実践してみたいという気持ちが大きくなっていきました。そして、数年後には金峯山寺で得度(※山伏になるための儀式)を受けることになった次第です。これが私が山伏になった経緯ですね。


―ありがとうございます。お話を聞くと、すんなりと得度を受けることを決意したように聞こえるのですが、それに対しての心理的なハードルはなかったですか?

なかったですね。私には弟同然に可愛がり一緒に育った従弟がいたのですが、彼が24歳で事故で亡くなって非常に辛い思いをしました。そのとき、自分自身が宗教者として、大好きだった従弟に対して直接祈りを捧げたいと思いました。このことも私が得度を受ける決断の後押しをしてくれたのだと考えています。


―そういった辛い経験も経て山伏としての活動をスタートされたわけですが、普段はどういった活動をされているのでしょうか?

ご縁があり、現在は本山修験宗の聖護院に所属しています。聖護院で行われている修験講習会(一般の方もご参加可能です)に参加して、お経の読み方や仏教の勉強をしているほか、法螺を練習したり、月に数回は近場の山(大文字山、愛宕山、比叡山、吉野など)に行っています。また、一般の方に親しんでいただけるような特別拝観イベントの企画や、Facebookでグループを作り、女性限定のお参りサークルを発足させました。今後はこのグループで全国の様々な霊場を訪れてみたいと思っています。


―古賀さんにとっての「修験」とは何なのでしょうか?

日々生きていく上での戒めであり、また、癒しでもあります。ホテルでの職歴が長くなり、それに応じた役職もいただけるようになってきたのですが、それだけで自分が偉くなった気がし、ともすれば傲慢になってしまうことがあります。そういったとき、修行に出たり、先輩方に教えを請うことによって、謙虚な気持ちを保つことができると考えています。年齢を重ねるにつれ、叱られる機会がなくなってきたので、耳が痛いことを言ってくれる存在というのは、とてもありがたく貴重です。


―叱られることがあるんですか(笑)

めちゃめちゃ叱られます(笑)私は人間的にも山伏としても、まだまだ未熟なので。でも、それはとても愛のある叱られ方ですし、自分を見つめなおす機会にもなり、本当にありがたいと思っています。また、職場以外に所属するコミュニティがあるということは、私にとって救いとなっています。仕事で嫌なことがあっても、気持ちを前向きに変えられる場所というのは非常に大きな存在ですね。


―葛城修験に対する思いはどうですか?

私にとって、初めての正式な入峯修行が聖護院の葛城修行でした。葛城修験は、行程の最初から最後まで女性も全ルート一緒に参加できることがとても嬉しいですね。大峰などでは、女人禁制の場所もあり、仕方ないとは言え、一緒に修行できない寂しさなどはありますので。また、山の中の修行だけでなく、友ヶ島や加太での海の修行もあり、苦しいなかにも、広々とした海の眺望を味わえるところが素晴らしいなと思います。友ヶ島で見た絶景は、今でも忘れることができません。次回の葛城修行が待ち遠しいです。


―これまでの修行の中で印象的だった出来事はありますでしょうか?

まさにその友ヶ島でのことです。虎島の崖の途中にある「観念窟」という行場の手前で、聖護院門跡のトップである宮城泰年ご門主猊下に手を引いていただきました。大組織の長の方が、私のような末端の人間にもしっかりと手を差し伸べてくださったことに、非常に感動を覚え、崖を登ることができた安堵感も重なり涙が止まりませんでした。修行に出れば経験や年齢、社会的地位などにかかわらず、皆で一緒になって同じ道を歩き同じ修行をする。私はこれが修験の神髄だと思っているのですが、このことを実感したできごとでした。


―山伏になってよかったことはありますか?

師僧をはじめ、人生のお手本にしたいと思う方々や、志を同じくする法友との多くの出会いに恵まれました。また、私は自信家でなく「自分はできない人間だ」と卑屈になる性格ですが、師僧から「神仏に守っていただいていることに自信と誇りを持ちなさい」とアドバイスしていただき、自分に自信が持てるようになりました。日常生活で嫌なことがあっても「良い修行をさせていただいている」と、ポジティブに物事を捉えられるようになり、打たれ強くなったようにも思います。


―では最後にメッセージをお願いします

修験道は「選ばれし屈強な男性が行じる特別なもの」と敬遠されがちですが(私もそう思っていたのですが・・・)、実は全然そんなことはなく、老若男女問わず門が開かれています。私のように女性の山伏も大勢いるんですよ。

修行に参加すると、日頃のちっぽけな悩みなど忘れてしまうほど、大きな学びや自信を得ることができます。また、山に行く体力がなくとも、護摩や滝行、法螺など、市街地にいながら実践できる修行もたくさんあります。葛城修験は里から近いところに行場があるのが特徴の一つであり、車で近くまで行ける場所もあります。「体力的に自信がないから・・・」、と諦めず、ぜひ、修験道はじまりの聖地・葛城修験を訪れ、1300年以上にわたり受け継がれてきた、祈りの文化に触れていただけたらと思います。

ご興味をお持ちの方は、あまり気負わず、まずはイベントや体験修行、講習会などに参加なさってみてください。きっと、良きご縁を授かることができるはずです。

葛城修験との出会いがきっかけとなり、皆様がより楽しく、幸せな毎日を送られることを心から願っています。

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