山伏の横顔④(大松龍眞)様 ~私が山伏になった理由~
皆さんこんにちは!
本日は、連載シリーズ「山伏の横顔 ~私が山伏になった理由~」の第4弾です!
今回は、普段は介護福祉士をされている「土生滝大師 寳照院(ほうしょういん」に所属している大松龍眞さんにお話をお伺いします。
装束姿の大松さん
―大松さんが山伏になられたきっかけは何なのでしょうか?
母が信仰に熱心であり、その影響もあり私は辯天宗(高野山真言宗の流れを汲む、仏教の宗派の一つ)を信仰しています。私が山伏になったのは、そういった背景もあったかもしれませんが、実は直接のきっかけとしては別のエピソードがあります。
私が妻と出会う前の話なのですが、妻が大怪我をし入院したことがありました。そのとき、同じ病室に入院していた方の中に、お寺のご住職様がいらっしゃり、その方との親交が芽生えたそうです。その後、私は妻と出会うのですが、退院後もそのご住職様と妻との親交は続き、その話を聞いた私はご縁を感じそのお寺を頻繁にお参りに訪れるようになりました。実はそのお寺こそが、現在私がお世話になっている寳照院であり、ご住職様が今の私の師僧なのですが、このご縁もありまして妻との結婚式も寳照院であげさせていただきました。
その後も寳照院へのお参りは続けていたのですが、そんなある日ご住職より「得度(※山伏になるための儀式)を受け行者になると、自身からオーラが出て、大切なものを護ってやれるようになりますよ」と、得度を受けることを勧められました。当時私は得度を受けるということがどういうものかも分かっていなかったですし、ましてや山伏になるなんてことは考えたこともなかったので抵抗もあったのですが、これまでのご縁というものを信じ、得度を受けることを決心しました。これが約1年ほど前の話です。
―大松さん、奥様、寳照院様との不思議な、でも運命的な繋がりがあったんですね。そういった繋がりを経て、大松さんは山伏になられたわけですが、普段はどういった活動をされており、そして大松さんにとって修験とはどのようなものなのでしょうか?
普段は、休みの日を利用して、葛城修験の巡拝や犬鳴山七宝瀧寺での滝行、護摩供養のお手伝い、法螺の練習などを行っています。
私にとっての「修験」ですが、先ほど申し上げたように、私は山伏になってまだ1年も経っていません。そのため「まだ分かっていない」というのが正直なところです。「遠い昔に役行者様や弘法大師様、多くの行者の方々がどのような思いで修行をし、村人がどのような想いでこの道を通ったのだろうか」と想像を巡らせながら葛城の道々を歩き、自身にどんな因縁があって修験をしているのか、その答えを日々探しているところです。
―これまでの修行の中で印象的だった出来事はあるでしょうか?
山伏になってまだ1年未満と申しましたが、それでもこれまで山の中で様々な方に出会わさせていただきました。例えば、河内長野市の光滝寺を参ったときのことですが、たまたまその日が1年に1回の護摩焚きの日で、地元の人が熱心にその準備をしている場面に偶然出くわしたことがありました。そのときに、「法螺を山の神に吹いて下さい」と頼まれ、私が法螺を立てたところとても喜んでいただいたことは非常に印象に残っています。
また、「へっぽこ登山」という登山系のYouTuberさんに出会い、YouTubeに出演することになったこともありました(https://www.youtube.com/watch?v=LHUbVWaSvig)。その他、毎日経塚をお参りしているという90代ぐらいのおじいさんとの出会いも印象に残っています。この方とは、初めて出会った後、3か月後ぐらいに再び山中で出会ったのですが、私のことを覚えてくださっていて、その記憶力の良さにびっくりしたとともに、本当に毎日経塚をお参りされていることにも驚かされました。
―山伏になってよかったことはあるでしょうか?
コロナ禍にあっても今のところ、無事に過ごせており、なにものかに護られていると感じられることでしょうか。辯天宗でもよく言われるのですが「信仰する力によって、大難を小難へ、小難を無難へ」と、氣持ちもさらによい方向へと考えることが出来るようになっています。また、様々なことに対してご縁を感じることができるようになったとともに、そのご縁に感謝することができるようになったことも山伏になってよかったと思うことです。
―逆に辛かったことは?
台風後の影響で、水が噴き出したり、倒木で塞がり傷んだ道をヘトヘトになって巡ったことや、雪山と知らずに入り、指や踵の霜焼けになり、約3 カ月悩まされたことです。山に入るとすべて自己責任であり、その厳しさを実感しています。
―最後に、これから葛城修験を訪問しようとしている方等に向けたメッセージをいただけますでしょうか?
私は学生時代にラグビーをしていたのですが、その経験を踏まえても修験道はこころと体にとても良い影響を与えるものだと思っています。
現代の日本人には、「宗教や信仰なんて」という風潮もありますが、一方でSNS の投稿などでは、神社仏閣にお詣りしている様子をよく目にしたりもします。「こんなに皆さん神仏を大事にされて興味があるんだ」と驚くこともありますが、それだけになおさら、お願い事やお礼のため、あるいは御朱印を頂くため、というような目的だけで伺うのは、ちょっと愛想がない、もったいないと思ったりもします。葛城修験には、経塚はもちろんのこと、その他にもたくさんの神社やお寺、行場があります。道々にある地蔵様に花や水を供えることは、昔の山伏にとっては修行の一つだったそうですが、そのようなことに思いを馳せて、何か一つでも霊域を綺麗に保つような行動を起こしてみてはいかがでしょうか。そのまごころや思いやりが心と体の栄養となり、自分自身が健康に健やかに過ごせることに繋がるのではと思っています。
修験道は、口伝ではなく、体感することだそうです。まずは、近くの氣になった経塚から巡り、葛城修験を体感してみてください。一つの経塚に行くにも無数の道があり、その道はあたかも苦しむ人、救いを求める人を捉える蜘蛛の糸のようです。曼荼羅の世界のように、その人にあった救いの道を示してくれているのが葛城修験なのだと私は考えています。